墓が崩落したので、学内に残る予定だった生徒の多くが実家に帰った。そもそも、年末年始の長期休みに実家に帰らない生徒というのは多くないので、学内に残る予定の生徒というのは幅が狭まる。学習設備の都合上、受験を控えた三年生が多い。そういう都合だから、墓地が崩落してやいのやいのとうるさくなってしまっては受験勉強どころではないということで、予定を変更して実家に帰ったのだった。
皆守は残るかどうか選ぶという思考すらなく寮に残るので、他の生徒の多くが帰ったということに気づくのが遅れた。
石と塵と廃材の山と化した墓地の始末でおおわらわで、それ以外のことを考える余裕がなかったということもある。よそに任せられない部分を生徒会でどうにか処理しきったあとの瓦礫をどうするという話を阿門としていたとき、
「冬休みのうちに済ませておけば、一般生徒への影響が少なく済むだろう」
と阿門が言ったのでようやく気づくくらいだった。
ということで、寮内に残るのは野次馬か、普段から帰省しない生徒か、もしくは墓地関係者ということになった。墓地関係者と言うのは、墓守や生徒会員ばかりでもない顔ぶれがあるからだ。
その筆頭は黒塚で、彼は遺跡の崩落現場にたびたび足を運んでは、あれこれと石をひっくり返している。彼は野次馬というには事情に食い込みすぎているので、関係者として扱われていた。
危ないから止めろと伝えるようにと皆守は阿門に言われたところだが、黒塚が活き活きとしているので、まだ言い出せない。
活き活きとした顔であの場所に行く人間というものを、皆守は止めることができなかった。
人間が少なくなった寮内はすっかり冷え込んで、廊下に霜が降るのではないかと思うくらいだった。皆守の部屋の窓はいつも結露している。水滴はさびしがって仲間を作り合っては、自分たちの重みのせいでガラス面を滑り落ちるはめになっていた。その跡がいくつも残り、カーテンを開けたときの視界をにじませる。
両隣の部屋の主は受験組で、墓が崩落した翌日にはいなかった。もともと残るつもりだったかどうかも、皆守は知らない。今までの長期休暇がどうだったのかということも、皆守には記憶がなかった。向こうが皆守を嫌っているようだったから、皆守も同じようにふるまっていた。だから知らない。そういうものがたくさんある。
昼寝から目覚めた皆守は水滴がぼたぼた垂れる窓を見て、拭いても仕方ないことが分かっているからそのままカーテンを閉めた。食事のために部屋を出るつもりだった。寮を出ると寒さが耳を凍らせるほどだろうが、空腹には代えられない。
厚手のコートに袖を通して、部屋を出た。
寮に備え付けの暖房は、部屋の中にいると効いているのかいないのかよく分からないそよ風なのだが、部屋の外に出るとちゃんと機能していたのだと分かる。寒さのあまり皆守は首を縮めた。階を下っていき、プレイルームから響くテレビの音声をうっすら聞いて外に出ると、乾いた冷風が皆守を迎えた。
寒さにうんざりするのすらも嫌になるくらい寒い。だが、冬の寒さに気を遠くして立っているところであたたかくならないのは分かっている。
皆守はちゃんと足を動かして、乾いた地面を歩いた。
学内の樹木は多くが秋に葉を落とし、骨格を冬空に浮きだたせている。それが幾重にもなると、並木がそれひとつの植物であるかのようで、さびしげなようすはなかった。むしろ、ぽつぽつとある松の木のほうが、よほどさびしげだった。
マミーズに入ると、舞草の明るい声で「いらっしゃいませェ~」と聞こえた。すっかり馴染みなので、皆守は多くを言う必要もない。舞草は皆守の顔を見て顔をほころばせ、「お好きなお席へどうぞ」と笑った。
皆守はこの店のことは知りすぎるほどよく知っていたので、迷わずに足を進めた。
「甲太郎」
暖房がよく効いてあたたかいテーブルへ向かおうとしたらそう呼ばれた。そちらへ顔を向けてやると、夕薙が片手を挙げている。同じテーブルには仏頂面の夷澤とえびす顔の黒塚がいた。珍しい顔ぶれだな、と思ったから、皆守は誘いに従ってそのテーブルについた。
空いているのが夷澤の横だったのでそこに座ったのだが、夷澤は何も言わなかった。噛みつかれるかと思っていたので拍子抜けする。顔には出さない。
夕薙と黒塚とは遺跡で顔を合わせたのだろうが、どちらも夷澤の威嚇が効かないタイプの人間なので彼も毛の逆立て甲斐がないのだろう。
「よう、甲太郎。寝ぼけ顔だな」
「さっきまで寝てた」
「そうなの? 今日はいい日だったよ。日差しがやわらかくてね」
「そうだ、黒塚、お前な」
「皆守君とは昼に寮で会ったよね。あれから外に出たかい?」
「……いや、寮からは出てない」
「ああ、あの景色を見なかったなんて……。僕があのとき声を掛けていればこんなことには……」
大仰に黒塚が悲しむ顔をした。じゃれあいの芝居だと思っても、そういう顔をされるともう言いたいことが言えない。皆守が言葉を続けられなくなったのを、横で見ていた夷澤が鼻を鳴らして笑った。皆守は彼をねめつけたが、夷澤にはどこ吹く風だった。
その騒ぎを気に掛けずに、職務に励むウェイトレスが冷水をひとつ片手にテーブルの横に立つ。
グラスを皆守の前にすべらせてから、はつらつと声をあげた。
「お待たせいたしました、ご注文をおうかがいしまァす」
「カレーライスひとつ」
「カレーライスおひとつ、……以上でよろしいですかァ?」
「お前らはもう食ったのか」
皆守は向かいの席に言った。
テーブルの上には皿はなく、飲みさしのドリンクバーのグラスだけがある。夕薙の顔を見ると、彼は笑って頷いた。
「ああ、今はだらだらしているだけだ」
そう聞いて、皆守は舞草に質問の答えを返す。
「じゃあ、以上で」
皆守の返事を聞くと、ウェイトレスはきびきびキッチンへ向かっていった。それを見送って、皆守は前に向き直る。皆守の前に座る夕薙と黒塚は食事を済ませて落ち着いたようすで、彼と目を合わせた。
「どうだ、調子は」
「どうも何もあるか」
「はは、焦らなくてもいい。今はまだ本調子じゃないだろうからな」
夕薙と黒塚の視線から感じる気遣いのようなものが皆守の睫毛に触れた。それが気恥ずかしいのだが、振り払うこともできないので聞きたいのだろうことをそのまま答えた。
「……体調は悪くないさ、いつも通りだ」
ひとといると、できないことが増える。それが皆守にとってただ煩わしいだけなら気に留めることもないが、そうではなかった。
「それはいいことを聞いた。お前のことを心配してる奴は山のようにいるからな」
「山はいないだろ」
「そう思うか? さっき、」
「そんなことはいいんすよ。この人の具合なんてわざわざ聞きたくもないんで」
横から口を挟んできた夷澤が言い捨てた。そんな態度の夷澤に夕薙が笑うので、話の向きを察して、皆守は唇の端で笑った。
「なんだ、お前、コウハイらしくなったな」
「はあ? 勝手に先輩面しないでくれます? オレの何を知ってるっつうんすか?」
「そうか? 知ってる方だと思うがな」
彼が狙っているものとそこに歯を食い込ませようと四苦八苦しているのを、皆守は知っている。それを言葉の端に匂わせると、夷澤は苦い顔で「オレはあんたのこと何も知らないですよ、だからコウハイする義理もないっす」と噛みついた。そのくせ、まだ席を立つようなことはしない。
この場にいるのが皆守一人だけではないし、夕薙と黒塚にさぞかし暖簾に腕押しだったろうから、歯向かう隙を探しているのかもしれない。
黒塚はくすくすと笑ってかたわらの石(舞草はもう慣れたもので、席が空いていればいすをひとつ貸してくれる)を撫でた。夕薙は年長者の視線でテーブルを見つめる。
「そういえば、俺は少ししか同行しなかったが、甲太郎はあの遺跡の全部の部屋に入っているんだったよな」
「あ? ああ……そうかもな」
「そうそう、皆守君、あそこのことよく覚えているよね」
「そうでもないだろ、入り組んでたしな」
「僕は一部しか知らないから、前に聞いたことあるじゃない。部屋の位置を聞いて、すらすら答えてくれたとき」
すらすらとは答えてない、と言いたかったがこらえた。聞かれたから答えただけなのに、こんなふうに他人の前で言いふらされるのは予想外だ。
渋い顔をした皆守に、夕薙が感心したような声を上げた。
「そうか、じゃあ甲太郎はみんなの話に同席してくれているわけだな」
「みんなって何だよ」
「言葉のままだよ」
太くやわらかな声で、夕薙が答える。皆守は短く、「ただの成り行きだ」と言った。
自分にとっては、ただの成り行きにすぎないのだ、と言い聞かせていた。夕薙の『病』のことも、夷澤の仮面のことも、あいつの――葉佩と共に歩いた道での出来事にすぎない。皆守が積極的に動いたのではないし、むしろ皆守は葉佩を押しとどめようとしたかった側だ。
皆守の手柄ではないし、そこで知ったことをむやみやたらに言いふらしたり、振りかざしたりする趣味もない。
皆守はただ、見ていただけだ。あいつの横にいただけ、ただの成り行き、そう思うようにしている。
皆守が口を結んだからか、夕薙が「そういうことじゃない」と言葉を続けた。
「恨んでいるとか、うらやましいって言ってるんじゃないさ。つまり多くの人と話をした、ということだろう。そしてこうして、そのメンバーと同じテーブルについているんだ。いいことだろう」
「それはひとが好い奴の意見ですよ」
夷澤が言った。夕薙は夷澤に「そうかい?」と応じた。
「そうっすよ。オレはムカついてしょうがないですけどね。オレがどうにかなってたときのことをこの人は知ってるのに、オレはこの人の弱味を何も知らないの、不公平ですよ。そう思わないんすか?」
「うーん、俺は甲太郎に弱味を握られていると思ったことはないな。九龍についても、そう思っている」
「ヤ、弱味ってのは、言葉の綾っすけど……オレだってセンパイに知られてるのが嫌だって話じゃないですよ。でもあんたはなんか腹立つ」
横からあからさまに睨まれた。皆守は肩をすくめて、パイプをくわえる。するとすぐさま、勢いづいた夷澤に「あっ」と言われた。
「オレの横でそれ吸わないでくれません? 真横で、しかも室内で吸われると匂い移るんで」
「……そんなに移るか?」
「当たり前ですよ」
そうか、と皆守は答えて、パイプを唇から離した。皆守が反論もなく従ったので、引っ込みがつかなくなった夷澤が「センパイもよくそれの匂いついてましたよ」と言う。それを聞いて、皆守は真横の夷澤を見た。横向きで目線がかち合って、夷澤がわずかに眉を上げた。その顔に、皆守は尋ねる。
「あいつがそう言ったのか」
「わざわざそんなこと、言わないでしょうが。動いたら匂いするでしょ、ふつうに。まあ、あんたは分かんないかもしれないすけど」
夷澤が自慢げにそう言うので、「そんなもんか」と答える。意図に反して、ぼんやりした声になった。
皆守は、もったりしたものが内臓に降りてきたような気になった。重たいが、邪魔ではない。喉をゆっくり下っていくそれを払いのけたくなくて、皆守は素直に飲み下し、心臓の奥に収めた。
「でも」
と、しばらく黙っていた黒塚が話し出した。何に対する「でも」なんだ、と思ったところで、彼が全部言った。
「皆守君がみんなの話を聞いてて、そんなふうに色々と思うんなら、みんなでまた話せばいいんじゃないの? いい機会だし。僕もみんなに話していいなら混ざりたいな、僕はそのタイミングがなかったから。ぜひいい話を仕入れてくるよ」
「それはいいな。この季節に自己紹介か」
「はい? そりゃさっき言葉の綾とは言いましたけどね、オレは弱味をさらしたくないって話をしてんすよ」
「じゃあ、皆守君の弱味を聞いちゃえばいいじゃない」
「おい、黒塚。俺はなにも話すなんて言ってないぞ」
「お待たせいたしました、カレーライスでございますゥ」
カレーライスが来たので、皆守は話題から離れた。あたたかいカレーという食事はあたたかいまま食べるに越したことはない。湯気が皆守の視界をわずかに曇らせ、スパイスの香りが彩る。
ちゃんと、腹が減ったな、と思った。
皆守が食べているあいだ、他の三人は話し続けた。
横で夷澤があれこれ文句をつけ、黒塚が意に介さず自らの意見を言い、夕薙がその凹凸をなだらかにしている。
その気配を感じて、こいつらはこいつらでこの十日ほどのあいだに交流を深めたのだなと思った。黒塚も夕薙も夷澤もそれから皆守も、ただ高校生として暮らしていただけでは交わることのなかった生徒たちだろう。クラスも学年も違う。それを引き合わせ、深めさせたのは葉佩だ、と感じた。
あの崩れた墓地は、この世代に関してだけは、墓守から奪うばかりではなかった。それをありがたいと済ますには、墓守たちはあの墓に捧げたものが多すぎる。これは墓守たちが捧げたものに対する対価のうちのひとつだ。
葉佩には、あの墓は何を与えたろう。彼は何を手にして、この學園を離れていったろうか。
「甲太郎、それでいいか?」
「は? 何が」
「今夜、プレイルームでまた話そうぜとさ」
皆守は呆れた顔を夕薙に向けた。皆守がカレーを味わっていたあいだに、彼らはさっきの話をあれこれと具体的にしていたらしい。
「今がもう夜だろ。俺はともかく……黒塚は大学決まってるんだったか」
「うん、僕は時間あるから」
皆守はろくに受験勉強もしていなかったし、かといって就職活動もしていなかった体たらくなので、現状浪人確定の身だった。夷澤はまだ二年であるし、夕薙はこれからの身の振り方はこの数日で左右されない。黒塚は進路が決まっている、ということでこの場にいる人間はこの年末年始の冬休み、特に夜間は身体が空いているメンバーなのだった。
変わった顔ぶれだな、と皆守はもう一度思いつつ、空になった皿にスプーンを置いた。
この変わった顔ぶれは、半年前にはこうして集まることが起きうることも信じられなかったものだ。偶然の相席だとしても、黒塚と夕薙は会話をしたかどうか怪しいし、夷澤はそもそもマミーズを食事場所に選ぶことはほとんどなかったのではないかと思う。
そう考えると、こう揃うのはこのときが最初で最後のメンバーなのだろうな、と感じた。
夕薙が言ったことは正しい。人間は、会話を交わした者、顔を合わせた者としか親しくならない。言葉を交わしたことのない人間と親しくなることは起き得ないのだ。
「俺はそろそろ出るかな、君らはどうする?」
「僕も行くよ。じゃ、皆守君。またあとで」
皆守が返事をしないうちに、夕薙と黒塚がぱっとテーブルを離れていく。このあともまた顔を合わせる気でいるから、別れるのが気楽になった結果だろう。皆守は、おざなりに手を振って返した。
今日は月が出ているので、夕薙は黒塚とひさしのあるところを選んで行くはずだ。黒塚がついていったのも、夕薙への気遣いであるような気がした。黒塚は自分の趣味のことでいっぱいいっぱいのように見えて、周囲の人間をよく見ている。人間との関わりを捨てていない。
夷澤はその流れに混ざるのが業腹であるらしく、皆守に横で不機嫌そうな顔で座ったまま、氷が溶けて薄まったグラスを飲み干した。
「お前も来るのか」
皆守が夷澤に言った。何気ない質問になるように心掛けた。
夷澤は皆守をちらと見て、「まあ、行ってもいいですよ」と言った。
これに限らずどの場所でも誰が相手でも、来たくなければ来なくてもいい、が皆守の意見ではあるのだが、夷澤のこれは本当に行きたくなくて言っているわけではないだろうから皆守はその言い草を責めなかった。
皆守は水を飲み、腹の具合が落ち着いたところでテーブルの端に丸められた伝票を抜き取った。
「夷澤、お前どうする」
「お先にどうぞ。オレはまだゆっくりしてますんで」
「そうかよ」
皆守はそう言い残して、テーブルにある伝票を全部抜いて会計に行った。夷澤はそっぽを向いていて、皆守の動きを見ていなかった。
「ありがとうございました~」
舞草のにこやかな声を背に皆守はマミーズを出て、乾いた風を感じた。冬の風に首筋を冷やかされた。
「さみ」
と声が漏れる。さみ、と言いはしたが、風が冷たいだけであまり寒くなかった。まだ腹のあたりがあたたかいような気がする。
夷澤の分の会計は夕薙たちが済ませた後だった。