薬草が多く出てきますが、実在しない植物に関してはハリーポッター原著に出てくるもののみの記述となります。実在する植物の効能についての記載は予想を交えています。また、当時の闇の陣営のスタイル・魔法社会のスタイルについて創作を含んでいます。










 この陣営に女といえば屋敷しもべくらいのもので、いつかこの廊下を女が歩く日が来るならば、それはやつらが妻帯したときだと思っていた。いずれ来るだろう瞬間ではあったが、これほど若い妙齢の女が絨毯を踏むようになるとは、ついぞ思ったことがなかった。

 女はと紹介され、深く頭を垂れた。

 確かにアポイントは取られていたが、ヴォルデモート卿の部屋に女を連れてきたのはその男が初めてである。ヴォルデモートに恭順しろと迫り、ついに折れた薬問屋連盟の会長であった。魔法薬を流通から把握できることは、何に関しても利益に間違いない。何度か抵抗されたが、倉庫をひとつ消し去って、連盟会長の実家の写真を送りつければ従った。なにということはない。軽い仕事だった。
 もうあと1時間経てば死ぬのではないかという男はヴォルデモート卿の向かいに座ってぶるぶると震え、膝を何度もテーブル板の裏に打ち付けていた。女はその横に座り、緊張に肩を強張らせてはいたが、ヴォルデモート卿をしっかりと見つめた。

「それで?」
 闇の帝王はことさらはっきり、ゆっくりと尋ねた。

 魔法薬問屋連盟会長は目の前のヴォルデモートに恐縮しきって、質問に答えられないありさまだった。がちらとその様子を見て、おろおろとする。

「この、娘は……わたしの孫で」
「それは聞いた。もう質問を忘れたか? その若い孫をこのヴォルデモート卿への隷属のしるしとして差し出すとして、私に何の益があるのかと、私はそう聞きはしなかったか?」
「な、なんなりと」

 そうもたやすく売られようとしている娘は涼しい顔だった。まさか英語が分からないのではあるまいな、と思うが、先程の自己紹介は流暢だった。そもそも英語を話せなくとも、魔法を使えばいいのである。

「何もできない、魔法学校を出たてのような女、しかもアジア人に、私が何をすると? 私の目の前でトロールとまぐわってみせてでもくれるのか」

 彼の苛立った声に、男は喉の奥で悲鳴をあげた。おそらく内容ではなく、彼の機嫌を損ねたかもしれないということのほうが恐怖だったのだろう。実のところ、彼は機嫌がよかった。差し出された女が気に入ったからとか、そのような理由ではなく、今までごそごそ抵抗し、魔法薬の流通を取り仕切って男がおどおどしているさまを目の前にしているのは気分がよい。それを己が自由にできるとあれば、今までの癇癪もおさまろうというものだ。

「恐れながら申し上げます」
 今まさに交渉の商品とされている女は、透き通った川みたいな声でそう言った。かすかに波立っていた。

「私は確かにアジア人でございますが、それはこの場ではそう関係のないことです。私は日本人であることに誇りがありますし、母校をまるごと侮辱されては看過できません」


 慌てた男は、女の名前を呼んでたしなめた。そして、ヴォルデモート卿に向かって何度も謝罪する。

「申し訳ございません。先ほど我が君がおっしゃいましたとおり、まだ魔法学校を出たてなのでございまして」
「その若い女をおまえは私に売ろうというのだから、大したものだよ」

 男は口ごもった。
 ヴォルデモート卿は、女の顔を見た。怖いもの知らずで不敬な女とみえる。だが純血ときいているので、彼は不利益がない限りはこの矮小な存在を見逃すことができた。そもそも、純血でなければこの屋敷に立ち入ることもできない。

「おまえ、母校と言ったな。出身は」
「まほうところです」
「ローブの色は」
「金で卒業しました」
「何ができる」
「魔法薬の材料は、ほぼわたしが管理していました。全世界の、一度でも商流に乗ったことのあるものならある程度、判断できます」
「ある程度?」
「失礼、謙遜しました。すべて判断できます」

 淀みない回答だった。

 魔法薬の材料はイギリスで生産されるものもあれば、アジアで生産されるものもある。あたたかく生物が多いぶん、アジア地域のほうが盛んといってもいい。香辛料とほぼ同じようなところがある。彼女の祖父を一瞥したが、ただ震えているだけで孫の話など聞いていないように見えた。

 は自分を日本人だと言ったが、その祖父の髪は真っ白で彫りの深いイギリス人の顔だった。魔法薬問屋連盟も本部はロンドンにある。開心術を使ってみても嘘をついているふうではないので、おそらく養子か何かそのような事情なのだろう、と彼は解釈した。血縁関係が実際にあるかどうかは、彼にとってまったく問題ではなかった。問題は、この女に価値があるかどうかである。

「それで?」

 彼は続けた。話の着地点は分かっていたが、本人の口から聞きたかった。

「わたしが、あなたの求めた人質です」

 彼は口元を歪めて笑った。女は、前を向いてそれを口にした。まともなプライドがある人間なら決意をこめてそうしなければ、その言葉は口にできない。

 ヴォルデモート卿は笑った。そうすることで女の精神力がそがれることを理解していた。










 日本史として説明するなら、つまりは江戸時代徳川家である。
 もっとも、日本の戦国時代のようにおおっぴらに世界を支配しようだなんてことはなかったが、闇の戦争は表面下でじわじわと進んでいた。統一にはまだまだかかるが、しかし、の家は取り込まれた。

 ヴォルデモート卿にホグワーツ学生時代から従っていた者は基本的にリスクを負わない(一度でも逆らったことがあれば、話は別だ)。江戸幕府の統治でいうところの、旗本である。
 次に、彼が卒業してから従った者は、定期的なリスクの提出と従属の成果を求められる。譜代である。それは働きであったり金銭であったりしたが、ヴォルデモート卿自身は、あまりその回収に熱心ではなかった。ただ、闇の陣営に所属しているのだという自意識を植え付けるための施策であることは明らかだった。

 最後に、近ごろ彼が交渉(脅迫・戦争)して従えた者は、労働と恭順のほかに金銭と、人質を要求した。つまり、外様である。

 彼が江戸徳川家を知っているとも思えないので、統治方法としてメジャなのかもしれない。

 そんなことをは考えたが、話す相手はいないので考えただけだった。祖父とは血縁関係になかったし、学校での友人とは連絡がとれない。ヴォルデモート卿に従ってからは、すべての連絡に検閲があった。

 ほかの家や団体はどのような人質がとられているのか、は知らない。ただ、ヴォルデモート卿の反応をみるに、女が差し出されたことは今までもあることなのだろう。彼が求めているのは忠誠であってセックスではないことは、その顔を見れば分かった。彼はに利用価値を探していた。

 案内された私室は、猫の額と言われる日本の家に比べればかなり広い。8畳くらいだろうか、とは考える。イギリスの屋敷に日本の基準をあてはめても合うものがあるはずもないが、自分が把握するのには都合がよい。
 自室はもらえるが、食費は家からの支給待ちである。つまり、祖父からの送金が途絶えた瞬間に飢え死には決定だった。

 は見慣れないベッドに腰かけてみた。わあ、と声を上げる。今まで布団で慣れた身にとってはくず寄せのようなやわらかさだった。

 そこではヴォルデモート卿を思い返す。残念ながら、は日本以外の人間とそうそう親しくなる機会はなかったので、彫りの深い顔にはまず驚きがある。日本人離れしているので(当たり前だ)イギリス人はみんな洗練された顔に見えるのだが、その中でも彼はとびきりだった。短気そうで神経質で賢くて繊細な、からすうりの花みたいな男性だった。顔立ちもすっきりと端正で、およそ乱れというものを感じない。からだの線が出ないローブをまとっていても、その肢体のしなやかさは思い描くことができた。きっと、ゆっくりていねいに動くからだ。立ち上がったとき、その背の高さに驚いた。彼の繊細さは、日本でいうところの少年から青年の過渡期にあるようなものだと思っていたからで、彼は成人したおとななのだと目の当たりにすることが、の中の考えを散らした。
 とにかく、美しかったのである。
 滅ぶ者の、廃退的な美しさを抱えていた。美しかった。

 は目を閉じる。その姿を何度となく、瞼の裏に思い出す。
 ここは夢の国。

 そしては考える。自分は二重の人質なのだが、これからどうふるまうのが正義であろうか。


NEXT

PAGE TOP